新規 2024年7月2日
いろいろな出会い。「出会いはドラマの始まりである」これは筆者の座右の銘であるが、今回はドラマに到達できなかった。
アカシヤ木工製作の滑空機を追いかけながら創立者飯岡のご先祖までさかのぼってしまった。途中で社名変更があり多くの難所を超える取材であったが、それゆえに新しい発見も出てきたのである。
それが今回の「小野ピアノ」であった。帝国日本が西洋文化になじみ情緒豊かな時期も迎え、西洋音楽器が国内で生産され、挙句海外まで輸出していたピアノの世界があった。軍事色濃くなってきた時はピアノの製作どころか購入者などいなくなっており必然的に木工滑空機製作に入っていく楽器工場が増えていくのであった。アカシヤであり、カワイ楽器であり今回発見した「小野ピアノ」である。
しかしこの小野ピアノの滑空機歴史を探るがあきらめざるを得ないのであった。そこで日本のピアノの歴史を網羅される「日本ピアノメーカーとブランド」という冊子から少しであるが書き出してみる。
「仙台の富豪小野(下の名前が不明)は昭和初期に蓄音機販売で成功している。昭和8年東京に出てピアノ製作の工場を運営。特に販売に力を入れて、輸入ピアノを手広く扱っていた。時代の流れは情操より軍事に向き始め、ピアノなどが売れる時代がそこにはなくなっていた。昭和13年になると商売の方向転換を余儀なくされ、木工技術が生かされる滑空機製造に入っていく。この流れはアカシヤと全く同じである。このころは「小野飛行機製作」と言っている。作業の流れは軍需産業に入り昭和16年には湯河原の富士飛行機の下請けで木製プロペラの製作を行っていた。果たして滑空機はどのくらい作られたのか写真が発見できなかったことをお伝えする。写真は小野ピアノの主力製品カタログである。