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日本ではじめてグライダーが飛行したのは明治四二年(1909年)のことです。日本人海軍大尉の協力で竹の骨組みの複葉グライダーを製作したフランスの海軍中尉パイロットが、上野不忍池端において自動車曳航により約20mの滑空をしています。これを皮切りに、日本各地でグライダーの製作や研究、飛行が行われ始め、福岡市でも昭和六年(1931年)には、「九州航空学生連盟」(後に九州航空会)が設立されました。翌年には「九州帝国大学航空会」と協力して本格的なグライダーの製作、研究と滑空記録樹立の歴史が始まります。当時は文部省(現在の文部科学省)が小・中・高を含む学校教育において滑空訓練を奨励するなど、敗戦によって一切の航空活動が禁止されるまで盛んな活動が行われていたことは、現代ではほとんど知られていません。

 このサイトでは、その歴史のひとつである昭和十六年(1941年)当時の滑空時間記録(13時間41分8秒)を、耳納連山・発心山頂からの発航によって達成された河辺忠夫滑空士のご子息、新一氏が長年にわたって蒐集し丹念に整理された膨大な資料と、九州帝国大学航空会を設立された佐藤博名誉教授の「日本グライダー史」(佐藤博著、木村春夫編)の、長い旅路を終えて故郷九州大学に戻ってきた資料の中から、「日本グライダー史」に収録されなかったとみられる佐藤先生の手書きメモやドイツ留学時代の写真などを中心として、おもに戦前の九州と日本のグライダーにかかわる資料を整理して公開いたします。

 現代では、ほとんどのグライダーがプラスチック機となり、プライマリー機やセカンダリー機、ソアラ―などの呼び名を知る人も少なくなりましたが、かつての日本の、偉大な先人たちの足跡をお楽しみいただければ幸いです。

東野 伸一郎