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歌姫・青葉笙子

更新 2024年8月11日

思い起こせば2006年平成18年の初夏突然現れた古の滑空士平松時善の情報であった。「昨夜NHKテレビを見ていたら、時善滑空士の奥様が歌ってあった、たぶん90歳近いと思うが、美しい声は変わってないのに驚いた」という話が飛び込んできた。河辺が滑空界の歴史を掘り起こす最初の挑戦は旭航空㈱であった。この旭の創立者が平松時善であり、九州帝国大学佐藤博助教授から直々に滑空機製作を教わり、阿蘇山の山岳滑空にも参加し、九州帝国大学と九帝型の製作契約を締結するという正統派の人物であるが、その正体が全く見えてこなかった。その奥様の情報が突如今手元に飛び込んできたのである。河辺は早速NHK日本放送局に問い合わせ、打診し窓口を探すことになった。

まず日本歌手協会という組織があり、ここを通さないと個別な打診が取れないのである。

お名前が青葉笙子(芸名)本名小野寺貞子とわかった。さてどのようにコンタクト取るかの思案の時、私のPHSに見知らぬ着信があった。

「ごめんなさい、このお電話は河辺新一様でよろしかったの?突然で失礼かと思いましたが、私は青葉笙子と申します。あなたが私を探しているという連絡が入り、それが平松時善様のことに関するなんて、もう私いてもたってもおられない気持ちなの。」と一気に。

「今の世の中で誰が平松時善様の事など口にしましょうや、もう私嬉しくてうれしく」と。「お会いしたい、いますぐにお会いしたい、ねえ、お会いしましょうよ」1週間後東京で小田急電鉄に乗り経堂のプラットホームに立てる私がいた。

今回、滑空機製作所アラカルトで「旭航空㈱」を語り、往年のグライダーマンで平松時善を語るにはまずここで「青葉笙子」を語らずしてこの二者を語れないのである。今回は青葉笙子歌姫の取材から見えてきた滑空士平松時善の話を書き残すことにする。

写真説明ー―某芸能冊子に乗った青葉笙子歌姫の記事。

経堂の割烹で取材を行いました。同席のご婦人は昔からのお付き人です。今はマネージャーと言いますが笙子様は「私のお付き人」とご紹介がありました。

写真説明ーー青葉笙子様とお付き人。いろいろお世話が行き届いた方でした。

SANYO DIGITAL CAMERA

お入院されたときに、改めて取材当時をおもいだされ、お手紙をいただきました。

ご自分のことではなく「平松時善が喜んでいます」とお書きくださいました。この取材に青葉笙子様と河辺新一の中で一つの約束がなされましたがそれ往年のグライダーマン・平松時善」で書くことにします。