更新 2024年8月4日
佐藤先生が帰国です。
おや、佐藤博助教授ですがかなりお痩せになっています。そうなんです、2年間のドイツ留学は心身疲れる強行軍でした。おまけに帰路もドイツから大西洋を渡り、アメリカ上陸後、少しの滑空地や博物館を訪ねながら大陸横断。その後ハワイ経由で日本帰国。帰国後即全国に「ドイツ留学の講演会」が企画されていました。私は国にどのような報告をされたのかとても興味がありましたがその資料は見当たりませんでした。
どこかで公演された写真ですが驚くほどお痩せになっています。
更新 2024年8月6日
佐藤博助教授がいよいよ帰国の段階に入ります。気になったことを書いてみます。先生の留学は、当時の帝国日本がお膳立てした国費留学でした。必要経費しか見てくれません。先生の自叙伝によると帰国の日時指示を出してきたのは母校の九州帝国大学からの指示でした。国は留学の最大の目的であった「東京オリンピックに滑空競技を参加させる」というこの大役を佐藤先生に押し付け、独逸の強力なバックアップがあったが、片や日本では中国との交戦眼前に迫り、資金繰り、人材の苦慮その他の条件でオリンピックを返上します。同時に欧州も同じ風が吹いており、東京の次期候補の国もオリンピック開催を辞退することになります。留学日程の流動性はわかりませんが、国の窓口が指示出しそうですが、帝国大学を窓口として「講座の緊急性が出たので急遽帰国せよ」とはどうしても腑に落ちません。まあ、それは私の邪推であって、大した問題でもありませんが。
ここで帰路の行程を日本郵船㈱様にお尋ねしました。先生の帰国に関する記筆は独逸ブレーメン出航と日本到着日だけがわかっておりました。そこで今回「佐藤助教授乗船の太平洋横断航路客船、鎌倉丸日本着が昭和14年5月12日横浜港」の情報で日本郵船㈱様に調査お願いしました。回答は以下のようにわかってきました。
- ロスアンジェルス、昭和14年4月24日出航→2,サンフランシスコ4月27日出(佐藤先生乗船)→3,5月2日ホノルル出→横浜着5月12日。
写真は横浜港に接岸した鎌倉丸デッキの佐藤先生を写す。(左が佐藤博助教授