更新 2024年8月15日
旭航空工業㈱セコンダリーのご紹介です。基本は九州帝国大学航空会設計の「九帝9型」となります。旭航空では末尾に「B」を添付します。九帝9型Bとなります。朝日ではこのデザインを社内で検討し旭なりの改善で「旭航空式澤風1型」という機種も開発しています。
写真は九帝式9型B。基本設計は九州帝国大学航空会。ライセンス製作になります。
写真は「B-458 澤風1型」です。
更新 2024年8月14日
旭航空工業㈱が九州帝国大学とライセンス生産を締結し、製作に入った九帝9型Aプライマリーを公開します。九州帝国大学は滑空機の研究や試作開発、改善を見ながら一つの機体を追求します。大学で量産や販売は考えていませんが、民間企業がそのライセンスを購入し量産に入ることは大学の研究が花開くことにつながっていきます。私は多くの資料から平松時善子爵が佐藤教授から指導を受けることや多くの九帝型に試乗し機体を吟味した平松滑空士の情熱や、機体の販売の広がり方に目を見張るものがありました。
旭航空工業の中庭で完成の九帝9型Aの撮影。前列左に平松時善滑空士。
写真上ーー撮影場所は不詳。機体番号にB-290を確認九帝9型A.
写真下ーー機体番号が未記入です。旭航空工業の九帝9型Aのプロトタイプです。
更新 2024年8月13日
九帝7型の胴枠写真です。貴重な写真です。というのも九州帝国大学には、また佐藤博史資料にもここまでの胴枠の写真を見つけ出せませんでした。同じく主翼前縁リブ組も佐藤資料にはありませんでした。機体尾翼の水平安定板というか昇降舵がフルフライングタイプになっています。この様式は是非を問われるのですがここでは正統派の形で仕上がっています。
更新 2024年8月11日
旭航空工業㈱のご紹介です。日本の滑空歴史の中でほとんど名前が出ない企業です。しかしその中身は短期間の活動ですが精力的な活動が見ています。そこには代表者平松時善子爵が最初から九州帝国大学佐藤博助教授に熱い視線を向けていたことでわかるのです。何が熱い視線と言うか、それは九州帝国大学が試作し、完成する機体に自分が乗り込んで「これは良し」という判断のもと九州帝国大学と製造権・販売権を締結してきました。例えば九帝7型は九大航空会では1機製作し乗りこなしていくのですが、旭航空工業では数機の注文を受けて納品しています。実は九帝5型も受注していることがわかったのですが詳細が見えませんでした。ほかにも九帝9型プライマリーや同じくセコンダリーも受注しています。時善の力で九帝型は量産の道に乗っていました。また旭では九帝7型から独自の設計を導き出して独自に「峯風式」という機種まで開発します。そこで思うのは誰がデザイナーであったのか、ここが全くわかりません。平松時善子爵はその立ち位置で予算が裕福に動かせたことも感じますね。当時日本では貴重な流れを作ってありました。また試験飛行が千葉県舟橋の浅瀬でおこなっています。写真が多くありますので鮮明なものだけを開示します。最初は製作工場の写真をはってみますが、なかなかの規模が見えます。
それぞれ写真に説明がありません。工場の住所や敷地の広さなど不明です。