更新 2024年8月18日
九帝12型について。九州帝国大学が手掛けた最後の企画機体である。
九州帝国大学箱崎本校における佐藤博教授のデスクと思われる。写真撮影の日付はわからないが、卓上に九帝12型複座の風洞模型が見えるから昭和17年から20年の頃ではないか。12型実機製作の担当は田中丸治廣が担っていたと聞いてきたが、実際はどうであったか。実は今回田中丸治廣ご遺族の取材で多くの謎が解けているのだが、ここにきて九帝12型にも不可解な事実が見えている。それは田中丸治廣の直筆履歴書に「昭和18年9月、九州帝国大学助手依願免本官」という一行を見つけたことである。えっ、田中丸は自分から退職願を出した?九帝12型製作の最中であるのに。わからない・・実態がわからない。ここの流れは一体どういう事なんだ。さらに履歴書を精査すると驚きの一行が眼に入った。
つまりこういう事である。田中丸治廣は一気に特級進してしまった。まず九州帝国大学航空会付の助手席を依願退職し、帝国が認知する学府の「九州帝国大学技術院滑空研究所の技師を拝命」していたのであった。なんという特進なんだろう。佐藤博の推薦が見えてくるのである。昭和20年8月の段階で、胴枠、主翼すべての骨組みは完成し完成直前の姿があった。8月15日の帝国政府の太平洋戦争敗戦の告示ですべての製作活動は中止となる。面白いのは同時期に前田航研工業六本松工場で同じような仕様で前田式901型という複座ソアラーが製作されている。起案は九帝12型が先で、その情報をもとに民間の前田航研が追いかける形となっていた。