2024年1月28日
昭和6~7年にかけて九大航空会は福岡を中心にして山岳滑空とスロープ滑空の場所探しに動くのであった。東は鳥取県鳥取砂丘、熊本、大分と見て歩きます。同時に佐藤博はドイツの文献でロジッテン砂丘の滑翔がとても気になっていました。ドイツという内陸滑空の中で、数少ない海風斜面上昇風をつかんで飛ぶ機体や技が、あまりにも日本的な要素が強かったからです。今回の資料で、写真、筆記の中に佐藤博が独逸留学でジット滑空場やロジテッン砂丘滑空地をおとずれないはずがないのですが、それらしき資料に出会いませんでした。しかし九大航空会は近場の奈多という海岸で充分滑翔に耐える場所を活用します。実はここで大日本青年航空団も十分に練習してきました。
現在の奈多の砂丘です。1945年以前は実機滑空機が飛んでいました。近代ではラジコン滑空機、パラグライダーやパラセールも飛んでいます。先人が開発した砂丘です。開発者に敬礼。さて、今回は私の友人で森林保護活動や海岸を血眼になって歩くビーチコーミングの仲間の鎌田隆君が「今の砂丘を撮ってきます」と言って送ってくれた写真です。こんなに低い砂丘から飛んだ九帝7型の田中丸治廣滑空士が残した記録が2つあります。2時間50分の記録と7時間20分を出します。海岸リフトの範囲が狭く、沖に出ることは厳禁で、反対に内地に入ると下降気流に巻かれます、よって海岸線に平行往復が求められる滑空となるのです。上記モノクロ写真の「記録へ九帝7型」をご覧ください、小さく滑空機が映っているでしょう、このように海岸にそって滑空するのです。